和暦 | 西暦 | 廓のできごと | |
十八年 | 1590 | 江戸各地で遊里の発展始まる | |
慶長 | 五年 | 1600 | 庄司甚右衛門、鈴が森に茶店を出し、家康を接待 |
十七年 | 1612 | 庄司甚右衛門、遊女町設立の請願一回目 | |
元和 | 三年 | 1617 | 庄司甚右衛門、遊女町設立の請願二回目 |
四年 | 1618 | 葭原(元吉原)設立 | |
六年 | 1620 | 京・伏見から娼家を移転。京町二丁目の新設 日本堤完成 | |
寛永 | 三年 | 1626 | 角町の新設。五区割となる。葭原から吉原に改名 |
五年 | 1628 | 葭町-堀江町間に「庄司甚右衛門橋」(別名親父橋)かかる。 | |
七年 | 1630 | 12月、吉原類焼 | |
十二年 | 1635 | 湯女風呂(丹前風呂)の隆盛 | |
十四年 | 1637 | 湯女風呂(丹前風呂)制限令 | |
十六年 | 1639 | 将軍息女(家光娘)輿入れに吉原から百人の人夫差し出しを命じられる | |
十七年 | 1640 | 夜間営業の禁止・吉原類焼。町奉行より甚右衛門に米等の支給 | |
十八年 | 1640 | 遊女の外出禁止 | |
十九年 | 1641 | 「あずま物語」(細見の前身)刊行 評定所への太夫の給仕派遣廃止 | |
正保 | 元年 | 1644 | 浪人五人による揚屋での立てこもり事件 庄司甚右衛門没(11月) |
二年 | 1641 | 吉原全焼(12月) | |
慶安 | 元年 | 1641 | 湯女禁令(2月)・遊里での果たし合いは死に損とされる(4月)男色禁止(五月) |
承応 | 元年 | 1641 | 若衆歌舞伎禁止・湯女は一軒に3人までとされる(6月) |
三年 | 1641 | 吉原類焼(十一月)吉原住人町奉行より褒美 高尾太夫登場 | |
明暦 | 二年 | 1641 | 風呂屋営業停止・移転命令 |
三年 | 1618 | 新吉原への移転・夜間営業許可・勝山登場 | |
万治 | 二年 | 1659 | 三浦屋高尾没 |
寛文 | 四年 | 1664 | 吉原以外に遊女を置くことが禁止される |
五年 | 1665 | 隠し売女の大量検挙(寛文八年とも) | |
六年 | 1666 | 吉原で喧嘩をしたことで、表坊主四名が刑死 病気と偽り吉原で遊興していた宝蔵番が刑死 | |
七年 | 1667 | 堕胎が禁止される | |
八年 | 1668 | 堺町・伏見町できる。散茶女郎の出現 | |
九年 | 1669 | 吉原で喧嘩をした大番が自殺、同行した同僚二名も切腹となる | |
延宝 | 四年 | 1676 | 12月(11月とも)吉原より出火、全焼。本所まで延焼 |
六年 | 1678 | 菱川師宣「吉原恋の道引(よしわらこいのみちびき)」刊行 | |
七年 | 1679 | 三浦屋遊女小紫、刑死した恋仲の平井権八の後追い自害。 歌舞伎「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」の題材となった事件。 | |
八年 | 1680 | 町入能(まちいりのう)から吉原の住人が除外される。 | |
天和 | 三年 | 1683 | 岡場所の遊女大量検挙 |
貞享 | 元年 | 1684 | 二代目薄雲太夫全盛 |
元禄 | 三年 | 1690 | 吉原通いの辻駕籠が許可される |
六年 | 1693 | 大名・旗本の遊里出入り禁止 | |
宝永 | 六年 | 1709 | 佐野次郎左衛門、兵庫屋遊女八橋殺害 歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ) 」の題材となった事件。発生は元禄・享保と諸説あり |
正徳 | 元年 | 1711 | 大門口の高札立替 |
享保 | 八年 | 1723 | 玉菊灯篭はじまる(享保十三年とも) |
十六年 | 1731 | 遊女音羽と丹波屋九郎兵衛心中未遂事件 歌舞伎「関東小六後雛形(かんとうころくのちのひながた)」の題材となった事件 | |
二十年 | 1735 | 大名の遊里出入り禁止 | |
元文 | 四年 | 1739 | 揚屋の衰退(五軒のみになる) |
寛保 | 元年 | 1741 | 仲の町の桜はじまる(寛延元年とも) |
十六年 | 1731 | 遊女尾上と伊太八心中未遂未遂事件 新内「帰咲名残命毛(かえりざきなごりのいのちげ)」の題材となった事件 | |
宝暦 | 十年 | 1739 | 太夫職の終焉。最後の太夫は江戸一、玉屋の花紫 同時に揚屋制度も終わる |